帝王学の書「貞観政要」をいまさら読むブログ

上司に勧められて貞観政要を読み、色々調べたこと、考えたことをまとめるブログ

組織論としての『貞観政要』 1.時代背景と盤石の構え

 『貞観政要』は帝王学と言われるだけに、「リーダー、いかにあるべきか」に飛びつきたくなるが、それ以前に「組織論」として読むべきだ、と田口氏は言う。

 

 どうせならもっとカメラを引き、「世界最高のリーダー論」が生まれた「時代背景」まで理解してしまおうというのが、出口本の最大の特徴である。目の前の出来事に対してもぐらたたきのように脊髄反射的になった意識のまま、悠久の「中国の古典」を読んでも、自分ごとにはなりにくい点を緩和してくれる。

 

 中国の歴史は「遊牧民と農耕民の対立の歴史」であることが、まずは基本だ。その中で300年にもわたって中国を支配した唐とは何か。それは、五胡十六国と呼ばれた遊牧民の中で生き残った北魏の分裂後、中国全土を統一した隋を滅ぼした李淵・李世民親子なのである。李世民(太宗)は二代目であるとともに、唐の創建者でもあった。目からウロコである。

 

 そもそも高祖・李淵には4人の息子がいた。李世民次男である。夭折した三男を除く長男と末弟を殺したのは李世民で、「玄武門の変」と呼ばれるクーデターだ。太宗、もともとは武闘派なのである。ますます目からウロコだ。

 

 『貞観政要』の大半は、太宗と四人の側近の対話で構成されている。これは、最初に書かれた名君の条件である「聞く耳」が武闘派の中でどのように磨かれていったか、の事例集とも言えるのだ。

 

 「創業か守成か」では、旧臣と新来の対として扱ったが、房玄齢と杜如晦(とじょかい)は太宗がリーダーになる前からの部下で、魏徴と王珪(おうけい)は玄武門の変では兄の側にいた臣下である。

 

 さらに田口本では、「トップと四天王」という組織のための盤石体制が強調されている。東西南北の四天王がいてこそ、真ん中に「玉」が収まるというわけだ。「4+1」が組織の基本単位。これは、面白い。