組織論としての『貞観政要』 3.「諫言」と「和」の本質
殊勝な思いを語る太宗に対して、人の形をした知恵のかたまりである「諌議太夫(現代語なら「諫言部長」というところか)」魏徴は、どう答えたか。
田口レクチャーによれば「古者、聖哲の主は、皆亦近く諸(これ)を身に取る」、出来のいいリーダーは何を見聞きしても自分の身に置き換えて理解するものだ、ということである。逆に言うと、遠い昔話や外国の話、たとえ話だから自分には関係ないとは言わない、とも言える。
山本七平氏の解釈はもうすこし具体的だ。「リーダーが十思で自らを統御し、部下の九徳を弘め、能力のある者を適材適所で任じ、善い者・正しい者の言葉で身を正せば、全員がその能力を喜んで発揮するでしょう」と魏徴はアドバイスしたというのだ。
前者は「言いにくいことを何かにたとえて言う」手法の強調であり、「ノーを言っているのは自分ではなく、歴史だ」ということである。後者は「十思・九徳」というルールにこだわりすぎず、目の前の部下の現実を見極めよ、ということかもしれない。
いずれにせよトップの間違いを指摘する「諫言」は、特にこの時代にあっては死を賭けて行われたことを忘れてはならないだろう。
七平氏は、その逆に「和を乱すまい」という態度が国を滅ぼした例として、東条英機が述べた日米開戦の理由「それでは部下がおさまりません」や、内心では開戦に反対しながら陸海軍の和を保つため「反対」とは言わず「総理一任」と逃げた海軍の態度をあげている。