帝王学の書「貞観政要」をいまさら読むブログ

上司に勧められて貞観政要を読み、色々調べたこと、考えたことをまとめるブログ

「創業と守成」はどちらが難しいか

 出口本のカバー見返しには[『貞観政要』とは]のサマリーがある。

 

──中国史上、もっとも国内が治まった「貞観」(627〜649年)の時代に、ときの皇帝・太宗と臣下たちが行った政治の要諦(政要)がまとめられた書物。日本においては北条政子徳川家康明治天皇も愛読しており、「時代を超えた普遍のリーダーシップ」が凝縮されている。

 

 おお、上司の言葉を裏付ける内容だ。てか、あのヒトもこれを読んだってことかも?

 

 ともあれ、『貞観政要』の最重要テーマは「創業か守成か」という問題であるらしい。ものごとをゼロから始めるのと、築き上げた世界を守り、さらに継承発展させていくことと。七平氏は「創業の苦しみは陽性、守成はそうではない」と言い、田口氏は「創業した第一世代がかえって障害になることもある」と、具体的な難しさにふれている。

 

 原本では、旧臣の房玄齢に「創業」と言わせ、新来の魏徴(ぎちょう)に「継続」の難しさを指摘させている。要するに、創業するには外部的な理由があるが、継続にはそれがない。どうしても怠惰に流れがちだ、というのである。

 

 確かに、二つにはアトサキがついてくるので、単純な比較はできない。そのためかどうか、『貞観政要』ではこの問題をトップに置かず、太宗が群臣に向かって「名君と暗君というのは、どこで違ってくるのか」と質問する場面を置いている。原本著者である呉兢(ごきょう)の編集方針とも言えよう。

 

 答えたのはやはり魏徴で、両者を分けるのは「聞く耳」をもっているかどうかだとズバリ言う。暗君は自分の聞きたいことだけを言ってくれる臣下としか話さないダメなトップと思われがちだが、周りが遠慮して「お耳に入れない」よう忖度する場合も多い。

 

 創業者なら、共に苦労した仲間がダメ出ししてくれるかもしれないが、守成を行う場合はそれもあてにはできない。よほど精力的に情報収集に努めなければ、材料が集まらない。それを「兼聴」という言葉で表し、どんな人からも広く意見を聞き、自分の知らないことを尋ねる姿勢を強調したのだ。

 

 「兼聴」という戦略を実践する上で、最も役に立つ戦術が「諫言」であったのかもしれない。